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平成最後、フジファブリック志村の年齢を超えてしまいそうになって思うこと

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2009年12月24日。その日わたしは20歳で大学のサークルでいい感じになっていた男の子とデートをしていた。幸せだった。

だけどその翌日、幸せな気持ちはあっさり打ち砕かれた。
自分が愛して止まなくて、自分の一部なんじゃないかと思ってたくらい大好きなバンドのボーカルが突然この世を去ったからだ。

クリスマスイブ、突然の死

フジファブリックの志村正彦。
彼は2009年のクリスマスイブに29歳と言う若さで急逝した。死因は今もわかっていない。

そして今は2018年。志村の死から9年も経ってしまった。わたしは29歳になっていた。彼が亡くなった歳と同じだ。

多くのファンが死を悼み、いまでも愛され続ける音楽を作り、残されたメンバーは突然の別れを受け止めつつ活動を続ける。わたしは、そんな音楽を作ることはできないし、誰かを熱狂させるだけの何かを作れていない。

才能に溢れている人間が早々にこの世から立ち去り、自分のようなよくわからない人間が生永らえている。世の中は理不尽だ。

クリスマスソングなんていらない、志村が生きていればとずっと思ってた

志村が亡くなってから毎年わたしは、クリスマスイブには生前志村がそうしていたように、部屋を暗くしてビートルズの「Across the Universe」を聞き、彼の誕生日である7月10日にはケーキを買って食べる。もちろんその日はフジファブリックの曲しか聴かない。

クリスマスイブは恋人同士で過ごすもの、なんて価値観が今の日本では一般的だけど、彼の死以降、わたしのクリスマスイブは変わってしまった。となりに恋人がいる年もそうでない年も、必ず志村の死を悼む時間は忘れなかった。もちろん今年もそうだ。

もしもドラゴン●ールなんかがあって、願いをひとつ叶えてくれるなら、誰か1人だけ生き返らせることができるなら、わたしはきっと志村を生き返らせると思う。

たとえこの先の人生で誰かと結婚して家族ができたとして、そんな大切な彼らがいなくなった状態だったとしてもきっとそうする。むしろそうありたいと願う。

志村正彦は間違いなくわたしの人生に強く深く影響している。20歳という多感な時期にその存在を知り、悩み事にぶつかったときも誰にも言えないような苦しみを抱えたときも側にあったのが志村のいたフジファブリックの音楽だった。

フジファブリックの音楽はふとした日常とか、季節の移ろいとか、うっかりしていると見逃してしまいそうな繊細なものを歌詞とメロディで形にしているとわたしは思う。
そのためか季節の移ろいを噛み締めて生きていたいし、繊細で傷つきやすい人を支えてあげられるような存在になりたいと考えるようになった。自分も人にこんなことを思わせるような人間になれたらいいなとも思った。

時間は止まったまま進む

「フジファブリック」は3人体制になって、今も活動しているけれど、わたしは志村の死以降発表された曲はほとんど聴くことができないでいた。ライブにも足を運ぶことはない。

ギターの山内さんがボーカルになって、フジファブリックは透明感があってポップなバンドだと言われることも増えた(ような気がした)。

だけどそのフジファブリックは、志村のいたフジファブリックとはなんだか違う気がしていて、今のフジを聴き続けたら志村のいたフジを忘れてしまいそうで、そうなったときにそんな自分を責めてしまいそうで、ずっと聴けずにいる。いつか普通に聴けるようになる日が来ればいいなあ、くらいのスタンスだ。

今はスマホやPCがあれば簡単に生前の志村がまるで目の前にいるかのような臨場感で自分の大好きな曲を演奏してくれる。何年経ってもどこにいても例外ではない。

何年も経ってしまって、とうとう志村が亡くなった歳になってしまって、これからはもう志村の歳を追い越してしまう。そんな事実がすごく悲しくて悔しい。

まだまだ何もできていなくて、それでも生かせていただいていると言っても過言ではないような自分。29歳という節目を迎え、「平成最後」というエモい言葉が流行っている時流に身を任せながら思ったことを書いた。

死者の時間は止まったままかもしれないが、生きている人の心に残り続けて進み続けることもあるのではないかと思っている。

志村は自分の中でずっと生き続けるから、自分もちゃんと生きていきたい

彼がこの世からいなくなってもずっと、彼が作った曲はわたしの背中を押してくれる。

感情の赴いたままに どうなってしまってもいいさ

TAIFU

全力で走れ 全力で走れ 滑走路用意できてるぜ
上空で光れ 上空で光れ 遠くまで

Sugar!!

まさか自分がいなくなるなんて思ってないだろうに、「別れ」を描いた歌詞は志村を失った自分を元気付けてくれる。

君がいなくても こちらは元気でいられるよ
言い聞かせていても 涙が出るよ

Bye Bye

笑ってサヨナラしてから 間違い探しをしていた
どうしてなんだろう 間違い探しをしていた

笑ってサヨナラ

この二つの曲はどちらも恋愛に関する曲で、志村自身はあまり恋愛なんてしていないなんてインタビューなどで語っていたけれど、とてもそんな風に思えない。
志村がひとつの曲を作るのに悩み抜き、考えまくった結果が出ているのだと思う。彼は生前「志村日記」といういわゆるブログをWebで公開していたのだが、端的に言って引いてしまうレベルで音楽に対するストイックな姿勢が伝わってくるのだ。今は書籍でその記録を読むことができる。

彼の作った音楽は間違いなくわたしを支えてくれていて、わたしの価値観に多大な影響を与えている。冒頭でも同じようなことを書いたけれど、間違いなく今でも志村の音楽はわたしの骨肉になっている。

この動画の冒頭で、志村が語っているメッセージは、このブログを読んでくれている人にはぜひ聴いてほしい。ぶきっちょな喋り方ながらきっと突き刺さる言葉があると思う。

わたしたちが生きている世の中は時に残酷で理不尽だ。漫画や映画みたいなドラマチックな展開が起こることなんてほとんどない。無味乾燥、砂を噛むような日常を憂い自分は何のために生きているんだろうと思うこともある。この歳になって、己の成長よりも衰えや失ったものについて強く悔やむことだってある。

それでも時間は進み続けて、過去に戻ることなんてできないし、前に進む以外の選択肢は残されていない。生きたかった人のことを想いながら、その人の分も人生を全うできるようにがんばりたい。

たくさん迷惑をかけることがある(かけてきた)けど、少しづつでもちゃんと成長していつかお世話になってきた人たちに恩返しをして、あわよくば感謝されるような人間になってこの世を去りたい。

志村がいたから、気づけた気持ちや固まった思いがあって、もうこの世界にいないことは悲しいけれど、出会えたことに感謝しつつ、前を向いて全力で生きていきたいと思う。

もしこのブログを読んでくれて志村のいたフジファブリックを知らないというのであればぜひ聴いてみてほしい。最後にわたしが一番好きな曲を貼ってこの記事は終わりにしたい。

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