今日もナナメ上を行く

寂しくなる理由について考えてみたら、ただの怠慢だったと気づいた

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こんばんにちは!結構負けず嫌いで寂しがり屋のさんしちです。

ちょっと前に誕生日だったんですが、荒れてました。

https://twitter.com/3710official/status/918831307802554368

日々寝食を共にしていて、仕事や恋愛の話からテレビのニュースの話や今日の晩御飯の話まで色々なことを語り合ったシェアメイトたちに完全誕生日をスルーされました。

「子供っぽい」「自立してない」と突っ込まれるのは承知で書きますが、やっぱり寂しかったです。

自分の生活に近しい存在だったからこそ、裏切られたとか見放されたとか、自分の価値なんて全然ないんだとか、風邪気味で弱った心と身体でぐるぐるぐるぐるネガティブな気持ちをこじらせていました。

心のどこかでサプライズを求めてしまう浅はかな自分が嫌になりつつも、「誕生日くらいそんな幸せや喜びを求めてはいけないのだろうか?」と思ってしまいました。(寂しさ耐性があまりないのかもしれません。特に誕生日前後は皆無です。)

今回は「寂しさを感じる原因は意外な理由だった」って話です。この1週間くらいごにょごにょ考えていました。

 

寂しさを感じる原因は自分に自信がないからだ

それでは、なぜ寂しさを感じてしまうのでしょうか?

わたしの場合は「自分に自信がない」からです。心のどこかで「どうせ自分なんかが・・・」「自分ごときが・・・」なんて劣等感が渦巻いているからです。

自分だけで立っている自信がないから他人と比べてしまうんです。不安だらけの世の中だからこそ揺るがない「確かなもの」が欲しくて縋り付いてしまうんですね。。

そして、その「確かなもの」に背中を押して欲しいと思っていて、影響されることを心のどこかで望んでしまっているんですね。

でも、残念ながら世の中は不確かなものだらけです。確かなものなんて存在しないのかもしれません。というか確かなものでさえもわたしたちが気づかない間に変わっていっているのかもしれません。

それなのにありもしない「確かなもの」をふらふらと探し続けているのって、なんだかカッコ悪いなと気づきました。

 

「確かなもの」は自分の中にあるのに探そうとしないって怠慢だ

「確かなもの」を外部要因に求め縋りつくことはカッコ悪いんです。それって自立してなくて、他力本願で思考停止しているんです。

今までわたしは、他人の視線を忘れられるくらい自分が夢中になれるものがないから自分に自信がないと思っていました。

でも、本当はそんなことなくて、ただ単に「他人の視線」なる得体の知れないものに勝手にビビってチャレンジできていないだけでした。

失敗して失った時間が怖いとか、労力を無駄にしたくないとか、どこの完璧主義だよ??って感じですよね。

世の中に完璧なんて有り得ないよね?なんで形の見えないものに勝手にビビってるの?ダサくね??って感じですよね。。

自分自身と向き合うことを怠け、安易に自分の周囲にある「確かなもの」いや、「確かなものっぽいもの」に乗っかる。

ただの怠慢でした。

 

 

寂しさを克服するために羞恥心も嫉妬心も自己嫌悪も捨てろ

寂しさを克服するために、自分の自信のなさを克服するためには何をしたらいいのか?

その答えの一つになるのが上記のツイートです。思わずファボっちゃいましたw

怠惰はもちろんのこと、羞恥心も嫉妬心も自己嫌悪もなにひとつ自分のためにはなりません。不安を生み足を引っ張るだけの邪魔者なんです。

自分がやりたいと思ったこと、面白そうだと思ったこと、正しいと思ったこと、全部やってみればいいんですよね。

自信は自分を信じると書く。

「自分を信じるということは、自分の生き方や感覚を信じて生きること」だと、しばらくはそう信じて生きてみることにします。

そのためにも「得体の知れない不安」に負けないように頑張っていこうと思います。

https://twitter.com/3710official/status/922502525894279169

 

というわけで引き続きよろしくお願いします!

 

 

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