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今日もみなさんの斜め上から自分を戒めています。

本当の顔を見せることのない街で今日も生きている

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本当の顔を見せることのない街で今日も生きている

どこで暮らしていてもわたしたちは日々何かを演じている

 

わたしたちには役割があります。そして、それを全うするために日々暮らしています。

それは「役割」を演じている、ということでもあります。

また、わたしたちが演じる役割はひとつとは限りません。

人によっては2つも3つもあるいはそれ以上の「何か」を日々演じています。

たとえば会社だったら同僚と上司と後輩とで、言葉遣いや振る舞い方はそれぞれ異なりますよね。

同僚/部下/先輩としてそれぞれ自分自身が意識/無意識にかかわらず演じているのです。

もちろん職場だけでなく、プライベートの場だとさらに自分の演じる役割は広がりをみせることになります。ひとくちに友人といっても、いつ/どんなところで/どのように出会い、仲良くなったかは友人によってバラバラです。同じケースなんてないでしょう。高校時代の友人、大学時代の友人、社会人になってからの友人という具合にある程度分類することはできるでしょうが、職場の場合よりもより細かくなる場合が多いと思います。

つまり、わたしたちは向き合う相手によって、いろいろな「役割」を使い分けています。

 

演じる役割を自分で選べていますか?

 

でも、その「役割」は自分自身で選んで演じているものですか?あなたは気づかないうちに誰かから押し付けられた役割を演じていませんか?そして誰かから押し付けられた/押し付けられたかもしれない役割を演じる毎日で疲れてはいませんか??

もし全然大丈夫!毎日ハッピー☆って答えられるならあなたはとても幸せなのだと思います。どうぞそのままでいてください南無三!!

「自分は○○だから・・・」って言い訳している人って周りにいませんか?むしろあなたはそういう人ではないですか??

もしあてはまるなら、あなたは自分で自分の演じる役割を選べていない可能性があります。

どうしてそんなことが言いきれるのかというと、わたし自身が上記のような思いを持ち続けて生きているからです。

 

押し付けられる役割/型に耐え切れなくて飛び出した

 

なんだかいきなりスケールが大きくなってアレなんですが、日本社会って役割を押し付けまくる社会じゃないかと感じています。大人に対しても子どもに対しても容赦なく押し付けまくっている。

 

幼稚園や小学校では「男の子/女の子だから 」、中学や高校では「文系/理系だから」、大学では「○○大学/XX学部だから」、社会人なら「○○社だから/役職XXだから」みたいな感じでしょうか。

型を決めて、存在するものをすべてそこに押し込みます。例外は認めません。あったとしたら白い目で見つめて冷たく対応し、ひどい場合はそれを周りの人にも強要し同調させようとします。世の中がはっきりそうだと言ってるわけではないけれど、なんだかそんな感じがする。無言の圧力が見え隠れしています。

 

わたしも大学3年生くらいまではその型に押し込められ、そして押し込められることに対して何も抵抗しようとせず、違和感すら抱けませんでした。 そしてひとり勝手に生きずらさを感じていました。

「大学は4年で卒業するものだ」とか「一人っ子だから親の言うことを一番に守るべきだ」とか「女の子はサラダを取り分けるべきだ」などなど、今となってはクソワロwwwwってレベルの型=固定観念にとらわれまくっていました。

 

固定観念から「抜け出していいんだよ」って知ることができたこと、生きずらさレベルが高くなりすぎていよいよ耐えられない!無理!!のっぴきならねええええ!!!ってなったことがあるから、わたしはギッチギチの固定観念の型から抜け出すことができたんです。

(ちなみに生きずらさレベルが高くなった原因は大学までの片道3時間近い通学時間です。満員電車が大嫌いだし朝の授業に間に合わないしデメリットだらけだったのに親は一人暮らしをなかなか許してくれなかったのです)

 

自分で演じたい役割を作って演じればいいんじゃないか

 

固定観念から抜け出すきっかけが、わたしにとっては芸術でした。固定観念に囚われまくった芸術なんてありえませんから、ある意味当たり前かもしれません。作品と対峙したときに、固定観念から抜け出していいんだ、と作品に語り掛けられた心地がしたんです。心地なんていうとなんだか生やさしい感じがしますが、衝撃/電撃/天啓ぐらいのレベルです。芸術に関わる仕事で生きていこう、と決意するくらいですからね。 
それはさておき、「なんとなく生きずらさを感じる」とか、「自分はどうするべきなのかわからない」 なんて悩みが出てきたら、普段と違うことを意識してやってみるといいと思うんです。自分の理想と現実が乖離しているからそういう悩みが出てくるんです。 なので普段と違うことをして普段と違う自分として振る舞えば、理想と現実との距離に変化が生まれ、その距離がどのくらいなのか掴めるかもしれません。何かアクションをしなければ変化は起こりません。辛い現実も重たい悩みも、自分から動かなければ向こうから勝手にいなくなることはありません。

自分の演じたい役割を考えてみて、ちょっとの間でいいからそんな風に振る舞ってみましょう。そうしたら少し気持ちは軽くなるかもしれませんよ。

 

おまけ:形から入るのもアリだと思う

 

演じたいと思う役割のイメージが具体的にあるのなら、そのイメージをまねてしまうのが手っ取り早いでしょう。

あの人みたいになりたい、と思う人がいるのならその人の服装や持ち物、振る舞いをまねてみればいいでしょう。(※良識の範囲でやりましょう。度が過ぎるとキモがられますよw)

 

なくて困る!という人の場合は、何かスイッチのようなものを手に入れるといいでしょう。

 

人に押しつけられた役割を頑張る時間と、自分の好きなように振る舞う時間を切り替えるスイッチ。

 

もちろん本物のスイッチじゃなくて、これを触ると/身に着けると/使うと気持ちが切り替わる!というものを手に入れるといいということです。

 

個人的にはファッションって気持ちを切り替えるのにすごく力を持っているので、うまくファッションで生きづらさを解消できるといいね!って考えています。そして新しいファッションアイテムとしてお面を推したくてしょうがないのです。

 

現代におけるお面って、今までと同様に芸術作品でもあるんですが、これからは気持ちを切り替えるスイッチとしての機能を担えるんじゃないか・・・なんてことを考えています。今回は長々と書きましたがこれはわたしのお面にかける想いでもあります。お面をかぶるという行為と生きるという行為の関連についてもっと言葉を重ねて洗練させていきたいと思う今日この頃でした。